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靖国問題

 

■A級戦犯は日本に存在しない。歴史も知らない議員やマスコミ。

ひめのブログ 

この国は少し変だよ!よーめんのブログ

からの転載です。

*昭和20年8月30日
 マッカーサー日本到着

 『A級戦犯』28名決定。
 来日したソ連が「俺らにも選定させろ」と言いだし、
 重光葵、梅津美治郎の2人をA級戦犯に追加。
 ソ連は『日露戦争』の復讐で東京裁判に参加。
 日本はソ連に戦争犯罪がなかったから、

 大東亜戦争以前の日ソの戦い、つまり日ソ間で解決ずみの

 張鼓峰事件(1938)やノモンハン事件(1939)を持ちだして、
 「日本の侵略だ!」と主張

 戦後、東京裁判が行なわれた。
 

 独立回復後、日本は国会で
 A級戦犯を含むすべての戦犯の死を
 「法務死」として遺族への年金や恩給を支払うことにした。
 遺族の救済や名誉の回復を行なうことを決めた。

*昭和27年7月
日本じゅうで戦犯の早期釈放を求める署名運動。
約4000万人の国民署名が集まった。
当時の日本人口、約8581万人
単純計算で、国民の2人に1人が署名した。

*昭和28年8月
「戦犯釈放を求める国会決議」が決議された。
国会決議は【全員一致】


昭和53年、靖国神社にいわゆるA級戦犯が合祀された。
昭和60年に中国が批判するまで、問題だなんて誰も言わなかった。

そしてその合祀は厚生省が提出した名簿に基づくもの。
名簿は国会の決議や諸外国の承認を踏まえて作成されたもの。

つまり靖国神社がA級戦犯を「戦争による公務死亡者」として合祀したことは
法律に基づき、行政の通知に従って実行したもの。

A級戦犯だった人の合祀を批判したいのなら、
厚生省のその名簿を作った奴を批判しろ。

戦後、靖国神社に合祀される人の基準は
国会で、法律として決めてある。

別に靖国神社が勝手に合祀したわけじゃないし、遺族が決めたわけでもない。
(靖国合祀の関係法→戦没者遺族援護法・恩給法など)

*昭和28年8月

「戦傷病者戦没者遺族等援護法」「恩給法」の改正
「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者としないことにした。
決定は【全員一致】

彼らの死を戦争による公務死としたことは

主権独立国家として正当な決定。

「A級戦犯」も「B・C級」も関係なく公務死とした。
これは日本人が決めたこと。

サンフランシスコ講和条約第11条第2項で、
東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は

「戦犯」を赦免できることになってた。


日本はこれをまじめに取り組み、
国会で「戦犯」の免責を決議し、関係各国に働きかけた。
そして‥

*昭和31年3月
 「A級戦犯」全員赦免・釈放

*昭和33年5月
 「BC級戦犯」全員赦免・釈放

これを正式に勝ち取った!!

日本に「戦争犯罪人」はいない!
「A級戦犯」もいない!!!
>サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき、関係十一カ国の同意のもと、
>「A級戦犯」は昭和三十一年に、「BC級戦犯」は昭和三十三年までに赦免され釈放された。
>刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。
>赦免・釈放をもって「戦犯」の名誉は国際的にも回復されたとみなされる

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm
サンフランシスコ講和条約に基づきA級戦犯もBC級戦犯も罪は消滅 名誉も国際的に回復していると判明 http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1388102716/

http://crx7601.com/archives/35960101.html
世界中がそれで納得してる。

*昭和50年11月21日

昭和天皇がいつも通り靖国神社を参拝。

突然、社会党が「問題だ」と言い出した。
それが原因で、天皇陛下は靖国参拝ができなくなった。

「靖国問題」とは1985年に朝日新聞と社会党がデッチ挙げたものです。
この問題は、1985年8月7日に朝日新聞の加藤千洋という記者が

「中国、日本的愛国心を問題視」という批判記事を書いたことから始まります。
その後、中曽根首相は予定通り8月15日に靖国神社を「公式参拝」しますが、

この時点で支那共産党および政府からは何の抗議もありませんでした。

しかし、朝日新聞はその後もしつこく靖国参拝批判の記事を掲載し続けます。
とどめを刺したのは当時の社会党書記長だった田辺誠氏です。
8月26日にわざわざ支那を訪問し、

「こんな暴挙を許しておいていいのか」と支那共産党を煽りまくったのです。
その結果、1985年8月27日に歴史上初めて

支那政府の副首相が「靖国問題」を批判し始めたのでした。
http://ameblo.jp/haruharu195/entry-11524597491.html


*昭和60年
突然、首相の公式参拝を中国が抗議してきた。
中曽根首相は参拝をやめた。

国民はそれほど騒がなかった。
マスコミが靖国参拝を騒ぐようになった。
【拡散】靖国参拝を政治問題化させたのが朝日新聞である事がよく分かるコピペ

福田赳夫  1977年4月21日    沈黙
      1978年4月21日    沈黙
      1978年8月15日    沈黙
      1978年10月17日 =A戦犯合祀される=
      1978年10月18日   沈黙

大平正芳  1979年4月21日  =A戦犯合祀判明=
      1979年10月18日   沈黙
      1980年4月21日    沈黙

中曽根康弘 1983年4月21日    沈黙
      1983年8月15日    沈黙
      1983年10月18日   沈黙
      1984年1月5日     沈黙
      1984年4月21日    沈黙
      1984年8月15日    沈黙
      1984年10月18日   沈黙
      1985年4月22日    沈黙
      1985年8月7日  

朝日新聞が参拝を批判
      1985年8月15日    

中国の新華社通信が参拝を批判
                    天安門事件 (1989年)

橋本竜太郎 1996年         

中国抗議!!!!!

小泉純一郎 2001年         

中国・韓国抗議!!!!!
      2002年3月       韓国駐在武官参拝
      2002年4月21日    

中国・韓国抗議!!!!!
      2003年         

中国・韓国抗議!!!!!
      2004年1月1日     

中国・韓国抗議!!!!!
      2005年10月17日   

中国・韓国抗議!!!!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1118642316

 

アジアの真実:・靖国問題は誰が作ったのか 〜朝日新聞の罪〜 - livedoor Blog(ブログ)

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戦後の歴代首相の靖国参拝
東久邇稔彦:1945(昭和20)年に1回
幣原喜重郎:1945(昭和20)年に2回
吉田 茂:1951(昭和26)年から1954(昭和29)年にかけて5回
岸 信介:1957(昭和32)年から1958(昭和33)年にかけて2回
池田 勇人:1960(昭和35)年から1963(昭和38)年にかけて5回
佐藤 栄作:1965(昭和40)年から1972(昭和47)年にかけて11回
田中 角栄:1972(昭和47)年から1974(昭和49)年にかけて5回
三木 武夫:1975(昭和50)年から1976(昭和51)年にかけて3回
福田 赳夫:1977(昭和52)年から1978(昭和53)年にかけて4回
大平 正芳:1979(昭和54)年から1980(昭和55)年にかけて3回
鈴木 善幸:1980(昭和55)年から1982(昭和57)年にかけて9回
中曽根康弘:1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけて10回



橋本竜太郎:1996(平成08)年から1回


小泉純一郎: 2001年(平成13)から4回~(04年1月現在)
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これを見ると、戦後からほぼ毎年のように歴代首相による靖国神社参拝が行われてきました。

ところが、1985年以降、ぱったりと止まってしまっています。

いったい1985年に何が起こったのでしょうか?

1985年まで、靖国神社の首相による参拝を問題視する外国は存在しませんでした。

A級戦犯の合祀も旧連合国(戦勝国)は容認しており、

数多くの外国人の要人も参拝しております。

ところが1985年8月7日、突如として朝日新聞が

「特集・靖国問題 アジア諸国の目」と題してネガティブキャンペーンを展開し始めました。

その中で「中国は靖国問題について日本の動きを注視している」と報じました。

しかしながら当時の中国のマスコミをあさっても、

そのような動きはまったく存在していませんでした。

この朝日新聞の記事に呼応して、人民日報は8月11日、

日本国内に首相の靖国参拝に批判的な動きがあると報じ、

続いて8月14日に中国政府スポークスマンは中曽根首相の靖国参拝は

アジアの隣人の感情を傷つけると正式な反対表明を行いました。

こうして中国その後20年間有効となる靖国神社批判という外交カードを手に入れることとなったのです(韓国はその後便乗しました)。そのきっかけを作り、手助けしたのは紛れもなく朝日新聞でした。
捏造された従軍慰安婦問題を作り出し、南京事件を煽り、そして靖国問題という歴史カードまで作り出した朝日新聞。この国が抱える主たる問題を作り出してきたこの新聞社はまさに大罪を犯しています。


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昭和天皇の靖国ご親拝中止は戦犯合祀が原因でない                            

靖国神社問題 - Wikipedia

 昭和天皇が,靖国神社にA級戦犯合祀後に参拝されていないのは事実ですが,

A級戦犯が合祀されたから参拝していない訳ではありません。同じ戦犯でも,

BC級戦犯が靖国神社に合祀された以降にも,昭和天皇は靖国神社に参拝しています。
 

1975年,三木武夫首相が,戦後の首相としては初めて,終戦記念日に靖国神社を参拝しました。

この時,政教分離の原則に反するのではないかとの指摘に「私的参拝である。」と言い切っています。
 私的参拝四原則と言うのを掲げたのです。
1 公用車を使用しない。(実際にタクシーで行かれた)
2 玉串料は私費から支出する。
3 記帳する際には肩書きを書かない。
4 公職者を随行しない。
 
 この1975年の11月21日に昭和天皇・香淳皇后が

靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑に参拝しています。
 この両陛下の参拝に際して国会で議論になりました。両陛下の参拝は私的参拝か,公式参拝か。
 三木首相が掲げた私的参拝四原則ですと,天皇は,1と4をクリアできず,

それ以後両陛下が靖国神社に参拝されなくなりました。

1975年11月21日に参拝されたのが最後となりました。
 A級戦犯が合祀されたのは,その後の1978年です。
 
 首相が靖国神社に参拝するたびに「私的参拝か?公式参拝か?」などと議論されました。

天皇が皇居外でなさる行事は全て公式行事であるため,私的参拝はあり得ず,

天皇自ら参拝すると世の中をひっくり返したような騒ぎなることが分かっているので,

参拝なさりません。
 
 なお,靖国神社の春と秋に行われる例大祭には,勅使が遣わされています

 http://okwave.jp/qa/q1759419.html

国民が知らない反日の実態 - 靖國神社参拝問題

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朝日新聞に記事を書かせたのはアメリカなのでしょうか?

それとも??