八重桜の会主催11/29 中山成彬衆議院議員講演会「安易な移民政策に反対する」 11/30頑張れ日本!愛知:朝日新聞抗議デモIN名古屋 12/7頑張れ日本!全国行動委員会福井県支部上映会・パネル展

洋公主(ヤンコンジュ)

いわゆる従軍慰安婦の証言、実は朝鮮戦争時の洋公主(ヤンコンジュ)だった

慰安婦の証言は、洋公主にピッタリと合致する、やっと、真実が明るみに出た。
洋公主という、名前まで付いているとは知らなかったが、
慰安婦の証言に在るように、軍(韓国軍情報機関員)が
(共産狩りや赤狩りと称して)拉致して慰安婦にされ、
連合軍兵士の慰み...物として提供された、収入は極僅かで、その後も辱められ、
それで、彼女らが韓国政府に謝罪と賠償を求めたのは当然だ。
狡猾な朝鮮政府は、賠償する代わりに、日本軍に拉致されたと偽証させ、
日本に賠償させようと図ったのが、今現在の慰安婦問題だ、
日本は慰安婦を拉致した話は無いので、当然ながら拒否し、
それで慰安婦=洋公主は貧しいまま補償も無く、悪戯に老いていった。
朝鮮戦争の慰安婦だから、ジープに乗ったとか、クリスマスには忙しかったとか、WW2当時は16歳だったとか、WW2の慰安婦としては不可思議な証言に満ちている。韓国軍「慰安婦」制度は、軍による拉致された性奴隷制度であり、
女性自身は性奴隷であったといえる。
WW2の慰安婦は、業者が新聞広告で募集し、収入も良いので進んで応募し、
戦後も豊かに暮らせたから、そもそも、自ら慰安婦だったと申し出る必要も無い。
福島みずほや朝日新聞の記者が韓国政府と共謀して、
朝鮮戦争当時の慰安婦の問題を、無関係な日本に押し付けた。

朝鮮戦争中は軍直轄の慰安所だったので、前線に慰安婦を送るときには
1人ずつドラム缶に押し込み、“補給品”名目でトラックに積んでいたという。
「第5種補給品」とも呼ばれた訳である。
韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書「後方戦史(人事編)」には
「固定式慰安所-特殊慰安隊」として記述があり、
軍慰安所の存在を裏付けるものだが、現在は閲覧不可の状態になっている。
朝鮮戦争後、それを管理していたのは朴大統領の父親、
朴正煕(パクチョソヒ)元大統領であった。